合理的であることの難しさ

楢諦

差別をしない、というのは、過小評価をしない、とか、わからないものは、わからないとすること、だが、それって、かなり難しくないか?


直感的に、まあ、コイツはこういうヤツだろう、というのは、わかるだろう。ただ、それは仮説だ。絞り込むのだ。絞り込むというか、取り調べるのだ。

自分の脳に騙される人間が多い。信じているということだ。自分を。それは、自信と言うこともできるが、あまり、合理的な選択ができているようには思えない。


労働者は、自分の技能を売りにしているが、自己評価というのは、誤りが多い。自分が水呑百姓の子孫だということさえ、わかっていないのだ。東の人間は特にそうだ。西の人間は、歴史を知っているから、現在というものを、特別視することはない。


西の人間には、過去の人間もまた、当時の最先端を生きていた、という前提がある。


そうした感覚が、東の人間にはない。今ほど平等で、機会の多い時代もないのだ。そのような状況で、明らかになることは、自分のポテンシャルが、元々、低かったという事実である。


自分以外を売るようにすれば、間違いは減るだろう。資本家を増やした方がいいんじゃねえか?そしたら、手駒が弱いから勝てないんだという他責思考も、合理性を持つことになる。


自分が好きだから、自分を売る。これは、気持ち悪いことだから、やめた方がいいというか。