信賞必罰

楢諦

今また、『韓非子』を読み直している。ダイジェスト版ではなくて、完訳している方を。現存する、すべての国家の原型は、ここにあるんだな、と思うと感慨深い。


日本人の好きな、謙虚さ、だが、これは功績とは言えない。功績でもなんでもないので、謙虚でしたで賞が、天から降ってくることはない。


天才は、自分は天才です、と言える。そのことに対する妬みがあるのは、天才でないのに、自分を天才と思っているからである。現実とは乖離した、高すぎる自己評価があるからだ。


このような人間は、現実が怖いはずである。だから、現実に打ちのめされないようにしている。自己愛を守っている。それが、彼らの謙虚さなのである。安っぽい、偽物の、表層的な謙虚さだ。


俺は、自惚れが激しいので、現実に打ちのめされる必要を、痛感している。だから、現実に挑むようにしている。その過程で、俺の犠牲になる人が、たまにいるが、それは罰である。異種格闘技戦で、ボコボコにされる、インチキ格闘家みたいなもんだ。俺にはそう見える。


人間はもっと、傷つくべきだ。それが、謙虚になるということだ。それを避けるということは、謙虚さからは、最も遠ざかる行為である。それは確かだろう。