悪魔とはキリスト教徒のことである

楢諦

できの悪い人が好きな、本当の〇〇シリーズ。本当にモテる人、本当に賢い人、本当に喧嘩が強い人、本当の金持ち、本物の貴族の末裔、などなど。


できの悪い人は、みんな、そうした、実際に見たことがない、優れた人を、自分に似ていると思っている。


キリスト教では、人間は神に似せて創られたと説かれるが、実際は、自分達に似せて神を創っている。上と、まったく同じ心理だと思う。やっぱり、ニーチェが書いている通り、キリスト教は、何から何まで、すべてが、落ちこぼれの負け惜しみである。


彼らのようにやればいいのかと言うと、もちろん、違う。水呑は下手に出ると、すぐ、つけ上がるからである。もっともっとと、ますます調子に乗る。


彼らはよく、連帯を呼びかけているが、彼らこそ、連帯を乱す張本人なのである。彼らは違いを許すことができない。違いを許せないのは、自分は有能であるという思い込みを、その違いが壊すからである。


社会の最底辺である、彼らの連帯の目的は、優れた人が長所を伸ばすことを、阻止することにある。それが目的だからこそ、それによってどうしたいかを、何も考えていないのである。


悪魔は、創造主によって創られたという。獣の数字は、人間を指しているという。悪魔とは、人間のことだろう。特に、キリスト教徒のことだろう。認知の歪みによって、自分が社会に必要とされていない人間だということが、わかっていないだけだろう。死すべき無価値な人間が、愚にもつかない命乞いを、延々と繰り返しているだけだろう。自分より程度の低い存在を創造して、それより自分達はマシだと絶叫しているだけだろう。