愚かな人には説得力がある

愚かな人の話は、現実的に見える。権威がある。けれども、このような人は、大抵、人生が上手く行っていない。現実に対して、間違った対処を取り続けているからだ。人生が上手く行っていないというのは、現実をわかってない証拠なのである。諦める、の本来の意味は、現実がわかることだが、それができてないのである。
現実は言葉を持たない。1から10まで、その性質をわかるように、教えてはくれない。現実には、そんな義理もない。だから、現実というのは、察するものなのである。察する力の低い人間に、現実など、わかろうはずもない。彼らが現実だと思っているのは、弱者の願望である。実際のところ、その夢を支持しているのは、無気力かつ無能な人間ばかりだから、誰もその実現のために、努力などしていないのである。彼らはその願望を、すでに実現されたものと錯覚する程に、現実逃避している。ならば、なぜ、多くの言葉を必要とするのだろう?それが現実なら、何もする必要はないはずである。人為を必要とするのは、それが理想である証拠である。
彼らがされて困ること。それは、私が理想を捨ててしまうことだろう。私が、本来の性格に戻って、彼らが嫉妬するようなことを多いにやって、その、稚拙な防衛機制をも粉々に粉砕して、自然や現実の残忍性をダイレクトに味わわせ、彼らを廃人にしたり、自殺させることだろう。それもこれも、すべては、言行不一致という罪に対し、相応の天罰が下った結果に過ぎない。
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